ここでは、1592年に、細川ガラシャがかかわったことを勉強します。
1592年(文禄(ぶんろく)元年)春、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし、※1)が朝鮮討伐の儀(ちょうせんとうばつのぎ=現在の大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮))に軍隊を送り、抵抗(はんこう)する者をうち滅(ほろ)ぼすこと)を諸大名(だいみょう=ある地域を支配している者)に告げ、軍船・兵糧(ひょうりょう=戦争時における軍隊の食糧(しょくりょう)のこと)を備えて出立(しゅったつ=出発)することを命じ、諸大名は家臣(かしん=けらい)を引き連れて肥前(ひぜん=現在の佐賀県(さがけん)、長崎県(ながさきけん)、ただし対馬市(つしまし)・壱岐市(いきし)を除く)名護屋(なごや=現在の佐賀県唐津市鎮西町名護屋(さがけん からつし ちんぜいまち なごや))に三十万余が集結しました。4月12、13日に小西行長(こにし ゆきなが、※2)、加藤清正(かとう きよまさ、※3)を始めとして、細川忠興(ほそかわ たあおき、※7)の軍を含め、諸軍が船出(ふなで)しました。
※1 1537~1598=武将(ぶしょう=武士(ぶし=さむらい)の大将)・大名。天下人(てんかびと=国じゅうを支配するひと)。初代・武家(ぶけ=武士の家筋(いえすじ=家系))関白(かんぱく=天皇を補佐する(ほさ=助け、その務めをはたさせる)官職(かんしょく=律令制(りつりょうせい=律令(りつりょう=国家の基本法である律と令。律は刑罰についての規定、令は政治・経済など一般行政に関する規定)を基本法とする政治制度)における官と職。官は職務の一般的種類、職は担当すべき職務の具体的範囲を示す呼び方))、太閤(たいこう=関白の位を子に譲った人の呼名)。三英傑(さんえいけつ=現在の愛知県(あいちけん=当時は尾張国(おわりのくに)と三河国(みかわのくに))出身で名古屋にゆかりがあり、戦国時代(せんごくじだい=大名(だいみょう=ある地域を支配している者)が群雄割拠(ぐんゆうかっきょ=多くの英雄が各地で勢力を振るい、互いに対立し合うこと)した動乱(どうらん=世の中がさわがしく乱れること)の時代)において天下を統一へ導いた三人)の一人
※2 1558~1600=武将、大名。肥後(ひご=現在の熊本県(くまもとけん))宇土城(うとじょう=現在の熊本県宇土市(うとし)にあった城)主。アウグスティヌスの洗礼名(せんれいめい=キリスト教徒が洗礼(キリスト教で、信者となる時の儀式)を受けるときにつけられる名前。クリスチャン・ネーム)を持つキリシタン大名
※3 1562~1611=武将(ぶしょう=武士(ぶし=さむらい)の大将)、大名(だいみょう=ある地域を支配している者)。肥後熊本藩(ひごくまもとはん=※4)初代藩主(はんしゅ=とのさま)。
※4 肥後国(ひごのくに=現在の熊本県)の球磨郡(くまぐん)・天草郡(あまくさぐん)を除く地域と豊後国(ぶんごのくに=現在の大分県(おおいたけん)大部分(宇佐市(うさし)・中津市(なかつし)除く))の一部(鶴崎(つるさき)・佐賀関(さがのせき)など)を知行(ちぎょう=領地や財産を直接支配すること)した藩(はん=※5)。
※5 諸侯(しょこう=※6)が治める領地(りょうち=自分のものとしてもつ土地)、およびその統治(とうち=まとめおさめる)組織のこと
※6 江戸時代(えどじだい=徳川将軍家が日本を統治(とうち=自分のものとしてもつ土地として)いた時代)の大名(だいみょう=ある地域を支配している者)
※7 1563~1646=細川ガラシャの夫。武将、大名。のちの豊前(ぶせん=現在の福岡県(ふくおかけん)東部、大分県(おおいたけん)北部)小倉藩(こくらはん=豊前にあった藩(はん=江戸時代(えどじだい=徳川将軍家が日本を統治(とうち=自分のものとしてもつ土地と)していた時代)、大名の領地や統治機構(とうちきこう=国家を統治する仕組み)))初代藩主(はんしゅ=とのさま)、肥後(ひご=現在の京都府(きょうとふ)北部)細川家(ひごほそかわけ)初代)
以上所説あり。