ここでは、1539年~1542年までを勉強します。
1539年(天文八年) この年、斎藤新九郎利政(さいとう しんくろう としまさ=のちの道三)は稲葉山城(いなば じょう=現在の岐阜県岐阜市(ぎふけん ぎふし)の金華山(きんかざん)にあった城)に入城し(にゅうじょう=城にはいり)、大規模(だいきぼ)な改修(かいしゅう=直すこと)を行って城下町(じょうかまち=大名(だいみょう=ある地域を支配している者)の居城(きょじょう=その人がふだん住んでいる城)を中心に発達(はったつ=進歩発展)した市街(しがい=町))である井ノ口(いのくち=現在の岐阜県岐阜市(ぎふけん ぎふし))の街づくりを進めました。
1540年(天文九年) 9月、新九郎利政、美濃に侵攻してきた越前(えちぜん=現在の福井県嶺北(ふくいけん れいほく)地方(岐阜県北西部含む)・敦賀市(つるがし))の朝倉氏(あさくら し)を撃退し(げきたい し=せめてきた敵を逆に攻撃して追い払い)ました。
1541年(天文十年) この年、土岐頼芸(よりなり※1)の弟・頼満(よりみつ※2)が何者か(新九郎利政?)に毒殺(どくさつ)されました。頼芸は尾張(おわり=現在の愛知県(あいちけん)西部)の織田信秀(おだ のぶひで※4)と内通し「毒殺は利政が守護職を狙ってのことであろう」と言合せ、これ以降、新九郎利政と頼芸の関係が不和(ふわ と=仲が悪く)なりました。
1542年(天文十一年) この年、新九郎利政は約一万の大軍で、頼芸の居城(きょじょう=その人がふだん住んでいる城)・大桑城(おおが じょう=現在の岐阜県岐阜市山県市(ぎふけん ぎふし やまがたし)にあった城)を攻め、土岐頼芸と子・次郎(じろう=のちの土岐頼次(よりつぐ※3))を尾張に追放(ついほう=犯罪(はんざい)を起こした人物を地域より放逐(ほうつい=追い払うこと)する刑罰(けいばつ))しました。新九郎利政は暫定的(ざんていてき=画定するまでの間、一時的にそうしておくさま)に美濃の国主(こくしゅ=国の主君)となり、新九郎利政は楽市(らくいち=商人が自由に出入し、自由に営業できる仕組みに改めたこと)、楽座(らくざ=他の商人にも自由な営業ができるようにしたこと)を奨励(しょうれい=よいこととして、それをするように人に強くすすめること)して城下町に活気(かっき=生き生きとしてにぎやかな感じ)をもたらしました。
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※1 とき よりなり、1502~1582=美濃国の守護大名。妻は六角定頼(ろっかく さだより※1-1)の娘。側室は深芳野(みよしの※1-2)
※1-1 ろっかく さだより、1495~1552=武将(ぶしょう=武士(ぶし=さむらい)の大将)。近江(おうみ=現在の滋賀県(しがけん))守護。南近江(みなみおうみ=現在の滋賀県南部)の戦国大名。六角氏14代当主
※1-2 みよしの、頼芸の愛妾(あいしょう=気に入りの妾(めかけ=婚姻(こんいん=結婚)した男性が、妻以外にも囲う女性))でのちに道三の側室(そくしつ=妻以外に囲う女性)となる。斎藤義龍(※7)の母
※2 とき よりみつ、1524~1541=頼芸の弟
※3 とき よりつぐ、1545~1614=頼芸の次男。武将。母は六角定頼の娘
※4 おだ のぶひで、1511~1552=勝幡(しょばた=現在の愛知県愛西市勝幡町(あいちけん あいさいし しょばたちょう)と稲沢市平和町城之内(いなざわし へいわちょう しろのうち))織田家4代当主(とうしゅ=その家の現在の主人)。尾張国(おわりのくに=現在の愛知県西部)の武将(ぶしょう==武士(ぶし=さむらい)の大将)、戦国大名(せんごくだいみょう=戦国時代(せんごくじだい=大名(だいみょう=ある地域を支配している者)が群雄割拠(ぐんゆうかっきょ=多くの英雄が各地で勢力を振るい、互いに対立し合うこと)した動乱(どうらん=世の中がさわがしく乱れること)の時代)で、各地に領国を形成した大名)。織田信長(おだ のぶなが※7)の父
※4-1 おだ のぶなが、1534~1582=勝幡織田家5代当主。武将、戦国大名。のちの天下人(てんかびと=国じゅうを支配するひと)。三英傑(さんえいけつ=現在の愛知県(あいちけん=当時は尾張国(おわりのくに)と三河国(みかわのくに))出身で名古屋にゆかりがあり、戦国時代において天下を統一へ導いた三人(信長・豊臣秀吉(とよとみ、※4-1-1)・徳川家康(とくがわ いえやす、※4-1-2)))の一人
※4-1-1 とよとみ ひでよし、1537~1598=武将、大名。天下人。初代・武家(ぶけ=武士の家筋(いえすじ=家系))関白(かんぱく=天皇を補佐する(ほさ=助け、その務めをはたさせる)官職(かんしょく=律令制(りつりょうせい=律令(りつりょう=国家の基本法である律と令。律は刑罰についての規定、令は政治・経済など一般行政に関する規定)を基本法とする政治制度)における官と職。官は職務の一般的種類、職は担当すべき職務の具体的範囲を示す呼び方))、太閤(たいこう=関白の位を子に譲った人の呼名)。三英傑の一人
※4-1-2 とくがわ いえやす、1543~1616=戦国大名。安祥松平家(あんしょう まつだいら け)九代当主(とうしゅ=その家の現在の主人)。のちの天下人。江戸幕府(えどばくふ※4-1-2-1)の初代征夷大将軍(せいいたいしょうぐん=武士による政権のトップの称号)。三英傑の一人
※4-1-2-1 えど ばくふ=家康が江戸(えど=現在の東京都)に開いた武家政権(ぶけ せいけん=※4-1-2-1-1)
※4-1-2-1-1 ぶけ せいけん=武家(ぶけ=武士(ぶし=さむらい)の家筋(いえすじ=家系))が掌握した(しょうあくした=自分の思いどおりにした)政権(せいけん=政治(せいじ=主権者(しゅけんしゃ=国の主権(しゅさい=政策(せいさく=目標を達成するために手段)を実行し、統治機構(とうちきこう=国を統治する(とうちする=まとめおさめる)仕組み)を動かす権力)を有する者)が、領土・人民を治めること)を実行する能力)
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以上所説あり。