斎藤道三(6/10)(1532年~1533年)

ここでは、1532年~1533年までを勉強します。

1532年(天文(てんぶん)元年) この年、長井新九郎規秀(ながい しんくろう のりひで=のちの道三)は、小見の方(おみのかた、1513~1551=帰蝶(きちょう※6)の母。明智光継(あけち みつつぐ※7)の娘で、明智光秀(あけち みつひで※9)の叔母(おば=父母の妹)。明智光綱(あけち みつつな※8)の妹)を正室(せいしつ=身分ある人の正式な妻)に迎(むか)えました。

1533年(天文二年) 2月2日、長井新左衛門尉(ながい しんざえもんのじょう※4)が、元主君(しゅくん=自分の仕えている君主(くんしゅ=世襲(せしゅう=その家の地位・財産・職業などを子孫が代々受け継ぐこと)により国を治める最高位の人)・殿様など)の長井長弘(ながい ながひろ※3)を越前(えちぜん=現在の福井県嶺北(ふくいけん れいほく)地方(岐阜県(ぎふけん)北西部含む)・敦賀市(つるがし))の土岐頼武(とき よりたけ※1)と内通(ないつう=うらぎり)したとして上意討ちし(じょういうちし=主君(自分の仕えている君主(くんしゅ=世襲(せしゅう=その家の地位・財産(ざいさん=お金など)・職業(しょくぎょう=お仕事)などを子孫(しそん=子や、まご)が代々(何代も続いていることを)受けつぐこと)により国を治める最高位の人)・殿様など)の命(めい=めいれい)を受けて、罪人(ざいにん=つみを犯(おか)した人)を死亡(しぼう)させ)ました。長井家は長弘の子・景弘(かげひろ※4)が継ぐが、美濃の実権(じっけん=実際の権力(けんりょく=他人を支配し従わせる力))は新左衛門尉と新九郎規秀の父子が握ることになりましたが、父・新左衛門尉はこの年、病(やまい=びょうき)で亡くなり(なくなり=死亡し)ました。

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※1 とき よりたけ、?~?=妻は朝倉貞景(あさくら さだかげ※1-1)の三女
※1-1 あさくら さだかげ、1473~1512=越前国の戦国大名(せんごく だいみょう※1-1-1)。朝倉氏9代当主(とうしゅ=その家の現在の主人)。朝倉氏景(うじかげ)の嫡男(ちゃくなん=あととり)。孝景(たかかげ)と景高(かげたか)の父
※1-1-1 せんごく だいみょう=戦国時代(せんごくじだい=大名(だいみょう=ある地域を支配している者)が群雄割拠(ぐんゆうかっきょ=多くの英雄が各地で勢力を振るい、互いに対立し合うこと)した動乱(どうらん=世の中がさわがしく乱れること)の時代)で、各地に領国を形成した大名(だいみょう=ある地域を支配している者)
※2 とき よりずみ、1524~1547=母は朝倉貞景の三女。妻は道三の娘・帰蝶(きちょう※6)

※3 ながい ながひろ、~1533=武将(ぶしょう=武士(ぶし=さむらい)の大将)。美濃小守護代(こしゅごだい※3-1)
※3-1 こしゅごだい=守護代の家人(けにん=けらい)でその職務を助ける役職
※4 ながい かげひろ、~1533=武将。美濃小守護代
※5 ながい しんざえもんのじょう、?~?=幼名・峰丸(みねまる)⇒出家(しゅっけ=世俗(せぞく=世の中)の生活を捨て、僧(そう=お坊さん)となって仏道(ぶつどう=仏の悟りである無上菩提(むじょうぼだい=最上のさとり)のこと)を修行すること)して法蓮坊(ほうれんぼう)⇒在家(ざいけ=僧が僧籍(そうせき=僧として認められた身分)を離れて、俗人(ぞくにん=一般の人)にかえること)して油売りの松波庄五郎⇒長井家家臣(かしん=けらい)・西村勘九郎⇒長井家同名衆(どうめいしゅう=同じ苗字(みよじ=家の名)を持ち行動をともにした武士の集団)・長井新左衛門尉。道三の父

※6 きちょう、1535~=濃姫(のうひめ)。土岐頼純(とき よりずみ※2)の正室(せいしつ=身分ある人の正式な妻)。頼純死後、織田信長(おだ のぶなが※6-1)の正室となる。
※6-1 おだ のぶなが、1534~1582=勝幡(しょばた=現在の愛知県愛西市勝幡町(あいちけん あいさいし しょばたちょう)と稲沢市平和町城之内(いなざわし へいわちょう しろのうち))織田家5代当主(とうしゅ=その家の現在の主人)。武将・戦国大名。のちの天下人(てんかびと=国じゅうを支配するひと)。三英傑(さんえいけつ=現在の愛知県(あいちけん=当時は尾張国(おわりのくに)と三河国(みかわのくに))出身で名古屋にゆかりがあり、戦国時代において天下を統一へ導いた三人(信長・豊臣秀吉(とよとみ、※6-1-1)・徳川家康(とくがわ いえやす、※6-1-2)))の一人
※6-1-1 とよとみ ひでよし、1537~1598=武将・大名。天下人。初代・武家(ぶけ=武士の家筋(いえすじ=家系))関白(かんぱく=天皇を補佐する(ほさ=助け、その務めをはたさせる)官職(かんしょく=律令制(りつりょうせい=律令(りつりょう=国家の基本法である律と令。律は刑罰についての規定、令は政治・経済など一般行政に関する規定)を基本法とする政治制度)における官と職。官は職務の一般的種類、職は担当すべき職務の具体的範囲を示す呼び方))、太閤(たいこう=関白の位を子に譲った人の呼名)。三英傑の一人
※6-1-2 とくがわ いえやす、1543~1616=戦国大名。安祥松平家(あんしょう まつだいら け)九代当主。のちの天下人。江戸幕府(えどばくふ※6-1-2-1)の初代征夷大将軍(せいいたいしょうぐん=武士による政権のトップの称号)。三英傑の一人
※6-1-2-1 えど ばくふ=家康が江戸(えど=現在の東京都)に開いた武家政権(ぶけ せいけん=※6-1-2-1-1)
※6-1-2-1-1 ぶけ せいけん=武家(ぶけ=武士(ぶし=さむらい)の家筋(いえすじ=家系))が掌握した(しょうあくした=自分の思いどおりにした)政権(せいけん=政治(せいじ=主権者(しゅけんしゃ=国の主権(しゅさい=政策(せいさく=目標を達成するために手段)を実行し、統治機構(とうちきこう=国を統治する(とうちする=まとめおさめる)仕組み)を動かす権力)を有する者)が、領土・人民を治めること)を実行する能力)

※7 あけち みつつぐ、1468~1538=武将。道三の正室・小見の方の父
※8 あけち みつつな、1497~1535=武将。
※9 あけち みつひで、~1582=武将、大名。のちの天下人
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以上所説あり。

投稿者: Mercury

歴史がとってもにがてな人いませんか? 実は僕そうなんです。大河ドラマなどの時代劇を見るたびに勉強しておけばよかったといつも思うんです。 そこで、歴史について勉強することにしました。 分かりやすいよう人物や出来事別に勉強しようと思います。 いっしょに勉強したい方、ちょっと興味のある方、 ぜひ、ご一読くださいませ。 文章下手ですが、よろしくお願いいたします。

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