徳川家康(2/12)(1555年~1564年)

ここでは、元服(げんぶく=男子が成人に達したことを示すための儀式)(1555)から、三河一向一揆(いっこういっき=浄土真宗本願寺派による暴動)と和睦(争いをやめて仲直りすること)する年(1564年)まで勉強します。

1555年(天文(てんぶん)二十四年)3月、元服(げんぶく=男子が成人に達したことを示すための儀式)し、「元信(もとのぶ)」と名乗ることになりました。

1556年(弘治(こうじ)二年)正月、今川一家衆(いっかしゅう=浄土真宗で、本願寺法主と同じ家系の一族)の関口氏純(せきぐち うじずみ)の娘(築山殿(つきやまどの))と結婚しました。

1558年(弘治四年)春、三河国寺部(みかわのくに てらべ=現在の愛知県豊田市寺部町)の攻撃に参加し初陣(ういじん)となりました。
同年(永禄(えいろく)元年)7月以前、実名を「元康(もとやす)」と改名しました。

1560年(永禄三年)5月19日、桶狭間の戦い(おけはざまの たたかい)が起きました。戦後、三河岡崎城(みかわ おかざき じょう=現在の愛知県岡崎市康生町にある城)へ戻りました。

1561年(永禄四年)2月、織田信長(おだ のぶなが)と和睦(争いをやめて仲直りすること)しました。3月、室町幕府将軍足利義輝(あしかが よしてる)へ献馬()しました。4月11日、三河牛久保城(みかわ うしくぼ じょう=現在の愛知県豊川市牛久保町にあった城)を攻撃し、三州忩劇(さんしゅう そうげき=三河国が非常にあわただしいこと)が勃発(ぼっぱつ)しました。

1562年(永禄五年)正月20日、室町幕府将軍足利義輝が今川・松平両氏へ停戦命令(ていせん めいれい)を出しました。2月、西郡鵜殿氏(せいぐん うどの し)を攻略し、人質交換により信康(のぶやす=のちの家康)と妻築山殿(つきやまどの)を駿府(すんぷ=現在の静岡県静岡市葵区)から岡崎(おかざき=現在の愛知県岡崎市康生町)へ移りました。

1563年(永禄六年)7月6日、実名を「家康」と改名しました。秋、三河一揆(いっき=幕府などに反抗し、地侍・農民・信徒らがおこした暴動)が起こりました。

1564年(永禄七年)2月末、三河一向一揆(いっこういっき=浄土真宗本願寺派による暴動)と和睦(争いをやめて仲直りすること)しました。2月、作手(つくで=現在の愛知県新庄市にあった町)奥平氏(おくだいら し)が従属(じゅうぞく=家康につき従いました)しました。4月、幡豆(はず=現在の愛知県西尾市にあった町)小笠原氏(おがさわら し)が従属しました。同月、東条(とうじょう=現在の愛知県西尾市にあった町)吉良義昭(きら よしあきら)が没落(栄えていたものが衰えること)しました。二連木(にれんぎ=現在の愛知県豊橋市仁連木町)戸田氏(とだ し)が従属しました。7月ごろ、大給(おぎゅう=現在の愛知県豊田市にあった町)松平氏(まつだいら し)が従属しました。9月、三河(現在の愛知県豊田市)上野城(こうずけ じょう)の酒井忠尚(さかい ただなお)を追いました。

以上所説あり。