真田昌幸(2)(1548年~1553年)

 ここでは、1548~1553年に真田昌幸(さなだ まさゆき)が係わった出来事を勉強します。

1548年(天文(てんぶん)十七年) 2月、父・真田幸隆(さなだ ゆきたか※1)の君主である甲斐国(かいのくに=現在の山梨県(やまなし けん))守護・武田信玄(たけだ しんげん※2)が、信濃国上田城(しなののくに うえだ じょう=現在の長野県(ながのけん)上田市にあった城)の村上義清(むらかみ よしきよ※2)を攻(せ)めるが大敗してしまいました(たいはいしてしまいました=徹底的(てっていてき=完全)に負けてしまいました)。

1550年(天文十九年) 9月、武田信玄、今度は村上義清方の信濃国砥石城(といし じょう=現在の長野県上田市にあった城)を攻めるが、再び敗れました。

1551年(天文二十年) 5月、源五郎(げんごろう=のちの昌幸)の父・幸隆が、砥石城を調落する(ちょうらくする=城などを攻めて取る)ことに成功しました。

1553年(天文二十二年) 8月、源五郎、武田家の人質(ひとじち)として甲斐国甲府(かいのくに こうふ=現在の山梨県(やまなしけん)甲府市)に赴き(おもむき=向かい)、武田信玄の小姓(こしょう=身分の高い人のそばに仕えた少年)を努めていました。

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※1 さなだ ゆきたか、1513~1574=真田幸綱(ゆきつな)。武将(ぶしょう=武士(ぶし=さむらい)の大将)

※2 たけだ しんげん、1521~1573=甲斐(かい=現在の山梨県(やまなしけん))の守護大名(しゅご だいみょう※2-1)・戦国大名(せんごく だいみょう※2-2)。甲斐源氏(かい げんじ(清和源氏家系図参照)の嫡流(ちゃくりゅう=正統(せいとう)の血筋(ちすじ)))にあたる甲斐武田家第19代当主(とうしゅ=その家の現在の主人)
※2-1 しゅご だいみょう=室町時代(むろまち じだい※2-1-1)の職の1つで、地方を支配するために置かれた役人
※2-1-1 むろまち じだい=足利(あしかが)将軍(しょうぐん=征夷大将軍(せいいたいしょうぐん※1-1-1-1))家によって統治されて(とうちされて=まとめおさめられて)いた時代。
※2-1-1-1 せいいたいしょうぐん=武士による政権(せいけん=政治(せいじ=主権者(しゅけんしゃ=国の主権(しゅさい=政策を実行し、統治機構(とうちきこう=国を統治(とうち=まとめおさめること)する仕組み)を動かす権力)を有する者)が、領土・人民を治めること)を実行する能力)のトップの称号。
※2-2 せんごく だいみょう=戦国時代(せんごくじだい=大名(だいみょう=ある地域を支配している者)が群雄割拠(ぐんゆうかっきょ=多くの英雄が各地で勢力を振るい、互いに対立し合うこと)した動乱(どうらん=世の中がさわがしく乱れること)の時代)で、各地に領国を形成した大名

※3 うえすぎ まさとら、1530~1578=上杉謙信(けんしん)。越後国(えちごのくに=現在の新潟県(にいがたけん)本州部分)の大名(だいみょう=ある地域を支配している者)。1561~1578、関東管領(かんとう かんれい=室町幕府(むろまち ばくふ※3-1)が設置(せっち=ある目的のために、組織の中で、新たな部署や部門をおくこと)した鎌倉府(かまくらふ=室町幕府が関東10ヵ国(かんとう10かこく※3-2)を支配するために鎌倉(かまくら=現在の神奈川県(かながわけん)鎌倉市)に置いた機関)の長官である関東公方を補佐(ほさ=人をたすけて、その務めをはたさせること)するために設置された役職名(やくしょくめい))。山内(やまうち)上杉家16代当主(とうしゅ=その家の現在の主人)。
※3-1 むろまち ばくふ=室町時代(むろまちじだい=足利(あしかが)将軍(しょうぐん=征夷大将軍(せいいたいしょうぐん※3-1-1))家によって統治されて(とうちされて=まとめおさめられて)いた時代)における日本の武家政権(ぶけせいけん※3-1-2)。足利尊氏(あしかが たかうじ、1305~1358)が京都で創始した。
※3-1-1 せいいたいしょうぐん=武士による政権(せいけん=政治(せいじ=主権者(しゅけんしゃ=国の主権(しゅさい=政策を実行し、統治機構(とうちきこう=国を統治(とうち=まとめおさめること)する仕組み)を動かす権力)を有する者)が、領土・人民を治めること)を実行する能力)のトップの称号。
※3-1-2 ぶけ せいけん=武家(ぶけ=武士(ぶし=さむらい)の家筋(いえすじ=家系))が掌握した(しょうあくした=自分の思いどおりにした)政権
※3-2 かんとう10かこく=相模(さがみ=現在の神奈川県(かながわけん)の大部分(北東部を除く))、武蔵(むさし=現在の島嶼部(とうしょぶ=島々)を除く東京都(とうきょうと)、埼玉県(さいたまけん)、神奈川県(かながわけん)の北東部)、上野(こうずけ=現在の群馬県(ぐんまけん))、下野(しもつけ=現在の栃木県(とちぎけん))、常陸(ひたち=現在の茨城県(いばらきけん)の大部分)、下総(しもふさ=現在の千葉県(ちばけん)北部と茨城県南部)、上総(かずさ=現在の千葉県中部)、安房(あわ=現在の千葉県南部)。1391~出羽(でわ=現在の山形県(やまがたけん)と秋田県(あきたけん))と陸奥(むつ=青森県(あおもりけん)、岩手県(いわてけん)、宮城県(みやぎけん)、福島県(ふくしまけん)、秋田県(あきたけん)北東部)も関東公方(かんとうくぼう=室町時代に京都に住む室町幕府の将軍が関東10か国を統治(とうち=まとめおさめること)するために設置した鎌倉府の長官)の管轄(かんかつ=権限をもって支配すること)国となっている。
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以上所説あり。