北条氏政(14/20)(1582年)

ここでは、北条氏政(ほうじょう うじまさ)が、1582年にたずさわったことを勉強します。

1582年(天正(てんしょう)十年)2月、氏政と氏直(うじなお)が、駿河(するが=現在の静岡県(しずおかけん)中部)に向けて出陣(しゅつじん=戦場へ向かうこと)しました。氏邦(うじくに)は、西上野(にしこうずけ=現在の群馬県の西部)に出陣しました。同月、徳倉城(とくら じょう=現在の静岡県駿東郡清水町徳倉(すんとうぐん しみずちょう とくら)にあった城)と三枚橋城(さんまいばしじょう=現在の静岡県沼津市大手町(ぬまずし おおてまち)にあった城)を攻略(敵を攻めて勝利すること)しました。3月、深沢城(ふかさわじょう=現在の静岡県御殿場市(ごてんばし)にあった城)を攻略しました。同月、吉原(よしわら=静岡県富士市(ふじし)南東部)に進軍(軍を進めること)しました。同月、富士家(ふじ け=現在の静岡県富士宮市(ふじのみやし)一帯)が従属(じゅうぞく=他のものの下に、つき従うこと)しました。同月、織田信長(おだ のぶなが)に使者を派遣(はけん=ある使命をもっておもむかせること)しました。同月、伊豆三島社(いず みしま しゃ=現在の静岡県三島市大宮町(みしまし おおみやちょう)にある神社)に願文(がんもん=神仏に祈願の意を伝えるための文書)を捧(ささ)げました。4月、織田信長に進物(しんもつ=おくり物)を進上(しんじょう=人に物を差し上げること)しました。5月、小山領(おやま りょう=現在の栃木県(とちぎけん))を小山孝山(おやま こうざん)に割譲(かつじょう=所有物の一部をさいて他にゆずること)しました。6月、小山城(こやまじょう=現在の静岡県榛原郡吉田町(はいばらぐん よしだちょう)にあった城)を攻略し、小山家(おやまけ)が従属しました。同月、軍勢(ぐんぜい=軍隊)を甲斐(かい=現在の山梨県(やまなしけん))に派遣しました。同月、織田家(おだけ)の宿老(しゅくろう=経験がゆたかな老人)滝川一益(たきがわ いちます)が手切れ(てぎれ=それまでの互いの関係をたつこと)にに及びました。同月、氏直、神流川合戦(かんながわかっせん=滝川一益と氏直・氏邦が現在の埼玉県の周辺で争った戦い)に勝利し、上野(こうずけ=現在の群馬県(ぐんまけん))に侵攻しました。7月、三男・太田源五郎(おおた げんごろう)が亡くなりました。同月、氏直、信濃(現在の長野県(ながのけん))に侵攻しました。8月、氏直、甲斐に進軍しました。9月、氏規(うじのり)、三島(みしま=現在の静岡県三島市(みしまし))に布陣(ふじん=陣を構えること)しました。同月、駿河に出陣しました。10月、徳川家康(とくがわ いえやす)と和睦(わぼく=争いをやめて仲直りすること)しました。同月、氏直が、徳川家康の次女・督姫(とくひめ)と婚約しました。12月、中山城(なかやま じょう=現在の群馬県吾妻郡高山村中山(あがつまぐん たかやまむら なかやま)にあった城)を攻略しました。同月、氏政と氏直が、沼田領(ぬまた りょう=群馬県沼田市)に向けて進軍しました。

以上諸説あり。