直江兼続(19/28)(1597年~1598年)

ここでは、1597年~1598年に、直江兼続(なおえ かねつぐ)がたずさわったことを勉強します。

1597年(慶長(けいちょう)二年)1月、兼続(かねつぐ)、伏見城(ふしみ じょう=現在の京都市伏見区にあった城)改築(かいちく=建物の全部または一部を新しくつくりなおすこと)にあたり、秀吉(ひでよし)より伏見舟入総奉行(ふしみ ふないり そうぶぎょう=職名の一)を命ぜられました。兼続は、越後(えちご=現在の新潟県(にいがたけん)の本州部分)人夫(にんぷ=力仕事にたずさわる労働者)四千人を使い、みずからも監督(かんとく=取りしまったり、指揮をしたりすること)をしました。完成後、兼続は、秀吉より普請場(ふしんば=建築または工事現場)御殿(ごてん=構えのりっぱな屋敷)を頂きました。2月、兼続は、景勝(かげかつ)の命をうけて春日山城(かすがやまじょう=現在の新潟県上越市(にいがたけん じょうえつし)にあった山城)の修築(しゅうちく=建物などを直すこと)を開始し、山田雅楽助(やまだ うたのすけ)に工事総監督を命じました。3月、兼続は、伏見邸(ふしみのてい)に博多(はかた=現在の福岡県福岡市の地域)の貿易商人(ぼうえきしょうにん=商品の輸出入を営業とする個人)で茶人(ちゃじん=茶道に通じた人)の神谷宗湛(かみや そうたん)を招き(まねき)、茶湯(ちゃとう=仏前や霊前に供える煎茶湯)を催しました(もよおしました=かいさいすること)。9月、景勝、河村彦左衛門尉(かわむら ひこざえもんのじょう)に越後領内(りょうない=領地のなか)の検地(けんち=領地の支配者が、自分の土地をはあくするために行った土地調査のこと)を命じました。11月、景勝、越後国絵図(えちごのくにえず)を作成しました。この年、慶長の役(けいちょうのえき)が行われていました。

1598年(慶長三年)1月、景勝、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)から会津(あいず=現在の会津若松)百二十万石移封(いふう=大名などを他の領地へ移すこと)を命じられ、。兼続は、米沢城(よねざわ じょう=山形県米沢市丸の内にあった城)三十万石、領地を所有することになりました。2月、兼続、信州海津(しんしゅう かいづ=現在の長野県長野市松代町(ながのけん ながのし まつしろちょう))・長沼(ながぬま=現在の長野県長野市穂保(ながのけん ながのし ほやす))両国を石田三成(いしだ みつなり)の奉行(ぶぎょう=職名の一)に引き渡すよう今成次右衛門(いまなり じえもん)・木村親盛(きむら ちかもり)に命じました。同月、兼続、石田三成と協議(きょうぎ=話し合って決めること)し、蒲生氏(がもう し)国替えに関する掟書(おきてがき=しきたりなどを記すもの)を発令(はつれい=法令などをだすこと)しました。3月、景勝、伏見を発し、越後より会津に入り、家臣を領内に配置(はいち=人や物をそれぞれの位置・持ち場に割り当てて置くこと)しました。兼続は米沢城に入りました。兼続は米沢(現在の山形県米沢市)内の検地を実施(実際に行うこと)し、米沢中の諸役(しょやく=色々な役目)を決めました。同月、兼続、景勝の命で築地修理亮(つきじ しゅりのすけ)・小島豊後守(こじま ぶんごのかみ)・蓬田寒松斎(よもぎた かんしょうさい)・青柳隼人佐(おおやぎ はやとのすけ)・小田切安芸守(おたぎり あきのかみ)に感状(かんじょう=戦いに参加した武将の功(こう=てがら)を賞して(しょうして=ほめたたえること)出される文書)をあたえました。4月、堀秀治(ほり ひではる)、春日山城に入りました。8月、秀吉が、伏見城で亡くなりました。享年63歳でした。9月、景勝、若松城(わかまつ じょう=現在の福島県会津若松市追手町にあった城)を出発し、景勝は10月に、伏見に到着しました。兼続、景勝にさきだって上洛(じょうらく=京都に向かうこと)しました。兼続は、9月、神達明神(かんだつみょうじん=現在の山形県米沢市城北にある寺社)を富士山の据野(すその=山りんが遠く延びてゆるやかなしゃ面)より米沢(よねざわ=現在の山形県米沢市城北)に移し、樋口兼豊(ひぐち かねとよ)に管理を命じました。また、山田喜右衛門(やまだ きえもん)に兵粮米(ひょうろうまい=戦争時の軍兵の食りょう米)の買い入れを命じました。11月、兼続、侍中借米(じちゅう かりまい)・買入米(かいいれまい)・堀氏借米(ほりし かりまい)に関する件・漆税(うるし ぜい)・足軽(あしがる=ふだんは雑用(農家など)を務め、戦時には歩兵となる者)の扶持(ふち=給与)について山田喜右衛門に命じました。12月下旬、秀吉の遺命(いめい=死ぬ時に残した命令)により、兼続は、太刀兼光一腰(たち かねみつ ひとこし)拝領(はいりょう=いただく)しました。

以上諸説あり。




投稿者: Mercury

歴史がとってもにがてな人いませんか? 実は僕そうなんです。大河ドラマなどの時代劇を見るたびに勉強しておけばよかったといつも思うんです。 そこで、歴史について勉強することにしました。 分かりやすいよう人物や出来事別に勉強しようと思います。 いっしょに勉強したい方、ちょっと興味のある方、 ぜひ、ご一読くださいませ。 文章下手ですが、よろしくお願いいたします。

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