直江兼続(2/28)(1561年)

ここでは、直江実綱(なおえ さねつね=のちの直江兼続)が上杉謙信(うえすぎ けんしん)の命で、関東に参陣(さんじん=戦いに加わること)した年(1561年)を勉強します。

1561年(永禄(えいろく)四年)2月16日、春日山城(かすがやま じょう=現在の新潟県上越市中屋敷(にいがたけん じょうえつし なかやしき)にあった山城)留守将直江実綱(なおえ さねつね=のちの直江兼続)が上杉謙信(うえすぎ けんしん)に命ぜられ、関東(かんとう=現在の神奈川県(かながわけん)・東京都(とうきょうと)・埼玉県(さいたまけん)千葉県(ちばけん)・茨城県(いばらきけん)・群馬県(ぐんまけん)・栃木県(とちぎけん)・静岡県伊豆半島(しずおかけん いずはんとう)・山梨県(やまなしけん))に参陣(さんじん=戦いに加わること)しました。3月11日、与板城(よいた じょう=現在の新潟県長岡市与板町与板(にいがたけん ながおかし よいたまち よいた)にあった城)主・直江実綱は、謙信の命を奉じて(ほうじて=うけたまわる)上田(うえだ=現在の新潟県南魚沼市六日町(にいがたけん みなみうおぬまし むいかまち))・妻有(つまあり=現在の新潟県十日町市(にいがたけん とうかまちし))・薮神(やぶかみ=現在の新潟県小千谷市(にいがたけん おぢやし)・新潟県魚沼市(にいがたけん うおぬまし))の三庄(さんしょう)に徳政令(大名が領内を治める為の手段)を発布(法律などを世間に広く告げ知らせること)しました。閏3月16日、謙信は、鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう=神奈川県鎌倉市(かながわけん かまくらし)にある神社)で関東管領(かんとう かんれい=室町幕府が設置した鎌倉府の長官である鎌倉公方(かまくらくぼう)を補佐(ほさ)するために設置された役職名)山内上杉家(やまのうち うえすぎ け=関東地方に割拠(かっきょ=自分の領地を根拠地として勢力を張ること)した上杉氏の諸家のひとつ)を相続し、上杉憲政(うえすぎ けんせい)の一字を賜り(たまわり)、名を政虎(まさとら)と改め(あらため)、以後、上杉氏と称しました。9月10日、第四次川中島の戦い(かわなかじま の たたかい=武田軍と上杉軍との戦い)がありました。12月、謙信は、13代将軍足利義輝(あしかが よしてる)の一字を賜り、名を輝虎(てるとら)と改めました。

以上諸説あり。




投稿者: Mercury

歴史がとってもにがてな人いませんか? 実は僕そうなんです。大河ドラマなどの時代劇を見るたびに勉強しておけばよかったといつも思うんです。 そこで、歴史について勉強することにしました。 分かりやすいよう人物や出来事別に勉強しようと思います。 いっしょに勉強したい方、ちょっと興味のある方、 ぜひ、ご一読くださいませ。 文章下手ですが、よろしくお願いいたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA