斎藤道三(5/10)(1525年~1527年)

まだ、未完成ですが、公開します。

ここでは、1525年~1527年を勉強します。

1525年(大永(だいえい)五年) この年、逼塞(ひっそく=落ちぶれて、隠れて暮ら)していた長井長弘(ながい ながひろ※)と長井新左衛門尉(ながい しんざえもんのじょう※)は土岐頼芸(とき よりなり※2)美を擁立(ようりつ=支持し、もりたて、高い地位に就かせようと)して、土岐頼武(とき よりたけ※1)、斎藤利茂(さいとう とししげ※3)に対し挙兵(きょへい=兵を集めて戦いを起こ)し、斎藤氏の居城(きょじょう=その人がふだん住んでいる城)・稲葉山城(いなばやまじょう=現在の岐阜県岐阜市(ぎふけん ぎふし)の金華山(きんかざん)にあった城)と美濃守護所・福光館(みの しゅごしょ・ふくみつ やかた=現在の岐阜県岐阜市長良福光(ぎふけん ぎふし ながらふくみつ)にあった館)を占拠しました。ところが、北近江(きたおうみ=現在の滋賀県長浜市(しがけん ながはまし)・米原市(まいばらし)・彦根市鳥居本町(ひこねし とりいもとちょう))の浅井氏(あざい し)が長弘を、越前(えちぜん=現在の福井県嶺北(ふくいけん れいほく)地方(岐阜県(ぎふけん)北西部含む)・敦賀市(つるがし))の朝倉氏(あさくら し)と南近江(みなみおうみ=現在の滋賀県(しがけん)南部)六角氏(ろっかく し)が頼武を支援し、美濃は大乱状態になりました。

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※1 とき よりたけ、?~?=妻は朝倉貞景(あさくら てるかげ※1-1)の三女
※1-1 あさくら てるかげ、1473~1512=越前国の戦国大名(せんごく だいみょう※1-1-1)。朝倉氏9代当主(とうしゅ=その家の現在の主人)。朝倉氏景(うじかげ)の嫡男(ちゃくなん=あととり)。孝景(たかかげ)と景高(かげたか)の父
※1-1-1 せんごく だいみょう=戦国時代(せんごくじだい=大名(だいみょう=ある地域を支配している者)が群雄割拠(ぐんゆうかっきょ=多くの英雄が各地で勢力を振るい、互いに対立し合うこと)した動乱(どうらん=世の中がさわがしく乱れること)の時代)で、各地に領国を形成した大名(だいみょう=ある地域を支配している者)
※2 とき よりなり、1502~1582=妻は六角定頼(ろっかく さだより※2-1)の娘。側室は深芳野(みよしの※2-2)
※2-1 ろっかく さだより、1495~1552=武将(ぶしょう=武士(ぶし=さむらい)の大将)。近江国(おうみのくに=現在の滋賀県(しがけん))守護大名、南近江(みなみおうみ=現在の滋賀県南部)の戦国大名。六角氏12代当主(とうしゅ=その家の現在の主人)
※2-2 みよしの、?~?=稲葉通則(いなば)の娘。母は一色義遠(いっしき よしとお)の娘。頼芸の愛妾(あいしょう=気に入りの妾(めかけ=婚姻(こんいん=結婚)した男性が、妻以外にも囲う女性))でのちに道三の側室(そくしつ=妻以外に囲う女性)となる。斎藤義龍(さいとう よしたつ)の母

※3 さいとう とししげ、1482~1499=武将。
※4 ながい しんざえもんのじょう、?~?=幼名・峰丸(みねまる)⇒出家(しゅっけ=世俗(せぞく=世の中)の生活を捨て、僧(そう=お坊さん)となって仏道(ぶつどう=仏の悟りである無上菩提(むじょうぼだい=最上のさとり)のこと)を修行すること)して法蓮坊(ほうれんぼう)⇒在家(ざいけ=僧が僧籍(そうせき=僧として認められた身分)を離れて、俗人(ぞくにん=一般の人)にかえること)して油売りの松波庄五郎⇒長井家家臣(かしん=けらい)・西村勘九郎⇒長井家同名衆(どうめいしゅう=同じ苗字(みよじ=家の名)を持ち行動をともにした武士の集団)・長井新左衛門尉。道三の父
※5 さいとう よしたつ、1527~1561=幼名・豊太丸(とよたまる)⇒元服(げんぷく=男子が成人になったことを示す儀式)後・利尚(としなお)⇒高政(たかまさ)⇒道三没後、義龍。武将。美濃国の守護代、守護大名、戦国大名(せんごく だいみょう※1)。道三流斎藤氏の第2代当主(とうしゅ=その家の現在の主人)。母は・深芳野(みよしの2-2)

※6 ながい ながひろ、~1533=武将。美濃小守護代(こしゅごだい※6-1)
※6-1 こしゅごだい=守護代の家人(けにん=けらい)でその職務を助ける役職

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1526年(大永六年) この頃、新左衛門尉は、土岐家の直臣(じきしん=主君(しゅくん=自分の仕えている君主(くんしゅ=世襲(せしゅう=その家の地位・財産・職業などを子孫が代々受け継ぐこと)により国を治める最高位の人)・殿様など)直属の家臣(かしん=けらい))として、長井長弘・友松軒(ゆうしょうけん)に次いで三奉行(ぶぎょう=上位者の命令を受けて実際に行うひと)の一人に加えられました。

1527年(大永七年) この年、美濃国の大乱が、新左衛門尉の属する土岐頼芸方の勝利で決着しました.。対する土岐頼武は革手城(かわて じょう=現在の岐阜県岐阜市正法寺町(ぎふけん ぎふし しょうほうじちょう)にあった城)を追われ、頼芸が事実上の美濃国守護となり、長弘と新左衛門尉が美濃国の実権(じっけん=実際の権力(けんりょく=他人を支配し従わせる力))を握(にぎ)ることになりました。6月、長井新九郎規秀(ながい しんくろう のりひで=のちの道三)と側室・深芳野(みよしの※2-2)との間に、嫡男・豊太丸(とよたまる※5)が誕生しました。

以上所説あり。

投稿者: Mercury

歴史がとってもにがてな人いませんか? 実は僕そうなんです。大河ドラマなどの時代劇を見るたびに勉強しておけばよかったといつも思うんです。 そこで、歴史について勉強することにしました。 分かりやすいよう人物や出来事別に勉強しようと思います。 いっしょに勉強したい方、ちょっと興味のある方、 ぜひ、ご一読くださいませ。 文章下手ですが、よろしくお願いいたします。

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