斎藤道三(3/10)(1499年~1515年)

ここでは、1499年~1515年を勉強します。

1499年(明応(めいおう)八年) 美濃(みの=現在の岐阜県(ぎふけん)南部)守護代(しゅごだい※1)を斎藤彦四郎(さいとう ひこしろう※2)が相続し(そうぞくし=うけつぎ)ました。

1506年(永正(えいしょう)三年) 西村勘九郎(にしむら かんくろう=峰丸(みねまる=道三の幼名)の父)は、峰丸をかつての同門(どうもん=同じ師匠・先生のもとで学んだ)日運上人(にちうんしょうにん※3)に預け学問を身につけさせました。

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※1 しゅごだい=守護(しゅご=室町時代(むろまち じだい※1-1)の職の1つで、地方を支配するために置かれた役人)の下に置かれた役職
※1-1 むろまち じだい=足利(あしかが)将軍(しょうぐん=征夷大将軍(せいいたいしょうぐん※1-1-1))家によって統治されて(とうちされて=まとめおさめられて)いた時代。
※1-1-1 せいいたいしょうぐん=武士による政権(せいけん=政治(せいじ=主権者(しゅけんしゃ=国の主権(しゅさい=政策を実行し、統治機構(とうちきこう=国を統治(とうち=まとめおさめること)する仕組み)を動かす権力)を有する者)が、領土・人民を治めること)を実行する能力)のトップの称号。

※2 さいとう ひこしろう?~?=武将(ぶしょう=武士(ぶし=さむらい)の大将)。斎藤妙純(さいとう みゅうじゅん※2-1)の3男。美濃斎藤氏持是院家5代目当主
※2-1 さいとう みょうじゅん、~1497=斎藤利国(さいとう としくに)。武将。斎藤利永(としなが、~1460=美濃2代目守護代の子。斎藤妙椿(みょうちん※2-1-1)の養子.(ようし=血縁(げつえん=血のつながり)関係なく親子関係になること)。美濃斎藤氏持是院家2代目当主。利親(としちか※2-1-2)、又四郎(またしろう※2-1-3)、彦四郎の父
※2-1-1 さいとう みょうちん、1411~1480=武将・僧(そう=お坊さん)。美濃斎藤氏持是院家(じぜいん け※2-1-1-1)初代当主(とうしゅ=その家の現在の主人)。
※2-1-1-1 じぜいん け=美濃斎藤氏守護代家に対して、斎藤妙椿の家系(善恵寺(ぜんね じ=現在の岐阜県加茂郡八百津町(ぎふけん かもぐん やおつちょう)にある寺院)に持是院という子院(しいん※2-1-1-1-1)を構えたため)。
※2-1-1-1-1 しいん=本寺(ほんじ=この寺)の境内(けいだい=寺院の敷地内(しきちない))にあり、本寺に付属する小寺院(こじいん=小さい寺)
※2-1-2 さいとう としちか、1473~1497=武将。斎藤妙純の嫡男(ちゃくなん=あととり)。美濃斎藤氏持是院家3代目当主
※2-1-3 さいとう またしろう、1482~1499=武将。斎藤妙純の次男。美濃斎藤氏持是院家4代目当主

※3 にちうんしょうにん、1484~?=常在寺(じょうざいじ=現在の岐阜県岐阜市梶川町(ぎふし かじかわちょう)にある寺院)住職。若い頃の妙覚寺(みょうかくじ=現在の京都府京都市上京区(きょうとふ きょうとし かみきょうく)にある寺院)の僧侶・南陽坊(なんようぼう)。斎藤道三の父と同門(どうもん=同じ師匠・先生のもとで学んだ人)。美濃(みの=現在の岐阜県南部)守護代・斎藤利藤(さいとう としふじ※3-1)の末子
※3-1 さいとう としふじ、~1498=武将。美濃斎藤氏3代目守護代。斎藤利永(としなが※3-1-1)の嫡男(ちゃくなん=あととり)。斎藤利国の異母兄(いぼけい=父が同じで母が異なる兄)
※3-1-1 さいとう としなが、~1460=武将。美濃斎藤氏2代目守護代。父は斎藤宗円(さいとう そうえん、1389~1450=武将。美濃斎藤氏初代守護代。父は斎藤祐具(さいとう ゆうぐ、?~?=武将))
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1512年(永正九年) 守護代・斎藤彦四郎、美濃の守護・土岐政房(とき まさふさ※4)と対立し、尾張国(おわりのくに=現在の愛知県(あいちけん)西部)へ逃れました。

1514年(永正十一年) 峰丸(道三)は父の「世の中を泰平(たいへい=世の中がよく治まって平和)にしたいという志(こころざし=目的)」を継ぐため、寺院を出、規秀(のりひで)と改め、父と同じ油売りとなりました。

1515年(永正(えいしょう)十二年) 勘九郎の主君(しゅくん=自分の仕えている君主(くんしゅ=世襲(せしゅう=その家の地位・財産・職業などを子孫が代々受け継ぐこと)により国を治める最高位の人)・殿様など)・長井長弘(ながい ながひろ※5)が、美濃小守護代(こしゅごだい=守護代の家人(けにん=けらい)でその職務を助ける役職)・長井氏の家督(かとく=一族の長)を継ぎました。

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※4 とき まさふさ、1457~1519、武将。土岐成頼(しげより※4-1)の長男。美濃守護
※4-1 とき しげより、1442~1497=武将、守護大名。美濃守護。土岐氏第11代当主

※5 ながい ながひろ、~1533=武将。美濃小守護代。父は長井秀弘(ながい ひでひろ、~1497、武将)
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以上所説あり。

投稿者: Mercury

歴史がとってもにがてな人いませんか? 実は僕そうなんです。大河ドラマなどの時代劇を見るたびに勉強しておけばよかったといつも思うんです。 そこで、歴史について勉強することにしました。 分かりやすいよう人物や出来事別に勉強しようと思います。 いっしょに勉強したい方、ちょっと興味のある方、 ぜひ、ご一読くださいませ。 文章下手ですが、よろしくお願いいたします。

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