ここでは、1553年~1557年までに、北条氏政(ほうじょう うじまさ)が、たずさわったことを勉強します。
1553年(天文(てんぶん)二十二年)1月、氏康(うじやす)の使者(ししゃ=使いの者)、氏政の婚姻(こんいん=結婚すること)に関して甲府(こうふ=現在の山梨県中央部の市)を訪問しました。2月、氏康、武田晴信(たけだ はるのぶ)から起請文(きしょうもん=神仏へのちかいを記した文書)を送られました。黄梅院殿(おうばいいんどの)との婚約(こんやく=結婚の約束をすること)が成立しました。
1554年(天文二十三年)6月、氏康により、室町幕府(むろまちばくふ)将軍家(しょうぐんけ)相伴衆(しょうばんしゅう=室町幕府が定めた一つの身分)に推挙(ある官職・地位・仕事などにふさわしい人としてすすめること)されました。7月、早川殿(はやかわどの)が、今川氏真(いまがわ うじざね)に嫁(とつ)ぎました。同月、前古河公方足利晴氏(ぜんこがくぼう あしかが はるうじ)が謀叛(むほん=時の為政者(政治を行う者)に反逆すること)し、古河城(こがじょう=現在の茨城県古河市にあった城)に籠城(ろうじょう=城にこもり敵と戦うこと)。11月、古河城を攻略しました。12月、黄梅院殿と婚姻(夫婦になること)しました。この年、氏康六男・景虎(かげとら)が生まれました。
1555年(弘治(こうじ)元年)5月、世田谷吉良(せたがや きら)家臣・大平清九郎(おおひら せいくろう)に書状を出しました。この時、初陣(ういじん=初めて戦いに出ること)を飾(かざ)りました。11月、長男・新九郎(しんくろう)が生まれました。この年、氏康弟・氏堯(うじたか)に長男(氏康の養子として)氏忠(うじただ)が、生まれました。
1556年(弘治二年)4月、常陸海老島合戦(結城氏と小田氏の間でおこなわれた戦い)が行われました。5月、氏照(うじてる=氏康の三男)、大石家当主となりました。
1557年(弘治三年)、氏康に、長女・芳桂院殿が生まれました。氏康弟・氏堯に次男(氏康の養子として)氏光(うじみつ)が、生まれました。
以上諸説あり。