北条早雲(5/8)(1493年~1495年)

ここでは、1493年~1495年までに、北条早雲(ほうじょう そううん)が、たずさわったことを勉強します。

1493年(明応(めいおう)二年)10月、宗端(そうずい=北条早雲)は、伊豆国(いずのくに=現在の静岡県伊豆半島(しずおかけん いずはんとう)、東京都伊豆諸島(とうきょうと いずしょとう))に兵を入れ、足利茶々丸(あしかが ちゃちゃまる、1470~1498=足利政知(まさとも、1435~1491)の長男)を攻めました。11月11日、足利茶々丸は伊豆国韮山(にらやま=現在の静岡県伊豆の国市)の願成就院(がんじょうじゅいん)で自害(じがい=自分で自分の身を傷つけて死ぬこと)し、宗端は伊豆平定(へいてい=乱れた世をしずめること)に乗り出しました。尚、この年、宗瑞の三男・北条長綱(ながつな、1493~1589=のちの北条幻庵(げんあん))が生まれました。

1494年(明応三年)8月26日、相模国小田原城(さがみのくに おだわらじょう=現在の神奈川県小田原市(かながわけん おだわらし)にある城)の城主(じょうしゅ=城のあるじ)・大森氏頼(おおもり うじより、~1494)が亡くなり、10月5日には、扇谷上杉定正(おうぎがやつ うえすぎ さだまさ、1446~1494)が亡くなりました(享年(きょうねん= 死んだ時の年齢 )51)。

1495年(明応四年)2月5日、宗瑞は、伊豆国の土豪(どごう=その土地で勢力のある者)・伊東伊賀入道祐遠(いとう いが にゅうどう すけとお)に対し、狩野道一(かの どういつ)攻めの戦功(せんこう=戦いのてがら)を賞し(しょうし=ほめたたえ)、伊東七郷(いとうななごう)のうちの本郷村(現在の静岡県伊東市)をあたえました。9月、宗瑞は、小田原城主・大森藤頼(ふじより、~1503=大森氏頼の次男)を攻め、小田原城を奪(うば)い取り、長男・北条氏綱(うじつな、1487~1541)を入れ、宗瑞は、韮山城に居城(きょじょう=日頃住んでいる城)しました。

以上諸説あり。

投稿者: Mercury

歴史がとってもにがてな人いませんか? 実は僕そうなんです。大河ドラマなどの時代劇を見るたびに勉強しておけばよかったといつも思うんです。 そこで、歴史について勉強することにしました。 分かりやすいよう人物や出来事別に勉強しようと思います。 いっしょに勉強したい方、ちょっと興味のある方、 ぜひ、ご一読くださいませ。 文章下手ですが、よろしくお願いいたします。

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