佐々成政(13/17)(1586年)

ここでは、1586年に、佐々成政(さっさ なりまさ)が、たずさわったことを勉強します。

1586年(天正十四年)3月、成政、秀吉(ひでよし)の使者として豊後(ぶんご=大分県(おおいたけん)大部分(宇佐市(うさし)・中津市(なかつし)除く)の大友宗麟(おおとも そうりん)のもとに赴き(おもむき)、九州(きゅうしゅう)の諸将(しょしょう=多くの将軍、大将)に「秀吉の御家人(ごけにん=戦国大名(15世紀末から16世紀末(戦国時代))の家臣(かしん=けらい))になれば本領(ほんりょう=本来の持ち前)を安堵(あんど=物事がうまく行って安心すること)しました。従わなければ征伐(せいばつ=反逆するものなどをせめうつこと)する」と伝えました。秀吉の下知(げち=命令)に従ったのは大友宗麟の子・義統(よしむね)、立花統虎(たちばな むねとら)、高橋紹運(たかはし じょううん)、筑紫広門(つくし ひろかど)だけでした。5月、成政、塚谷三蔵(つかたに さんぞう)に知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう=主君から家臣に対し与えられた文書)を与えました。8月、成政、日光坊(=中新川郡立山町、芦峅寺)に寄進状(きしんじょう=寄進の趣旨(しゅし=ある事をする理由・目的)および品目などを書いた文書)を与えました。

以上諸説あり。




投稿者: Mercury

歴史がとってもにがてな人いませんか? 実は僕そうなんです。大河ドラマなどの時代劇を見るたびに勉強しておけばよかったといつも思うんです。 そこで、歴史について勉強することにしました。 分かりやすいよう人物や出来事別に勉強しようと思います。 いっしょに勉強したい方、ちょっと興味のある方、 ぜひ、ご一読くださいませ。 文章下手ですが、よろしくお願いいたします。

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